「神経系の起源と進化」の版間の差分
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神経系の系統図を考えてみると、系統樹の頂点に、微小脳をもつ前口(旧口)動物が、もう一方に巨大脳をもつ後口(新口)動物の哺乳類がそれぞれいる。前者は、中枢神経系が腹側神経索よりなる腹側神経系動物(ガストロニューラリア)で、後者はそれが背側神経索よりなる背側神経系動物(ノトニューラリア)である。系統樹の根元の方に腔腸動物がいて、体中を網目状の神経網が走り、脳や神経節をもたない単純な神経系、散在神経系をもつ。 | 神経系の系統図を考えてみると、系統樹の頂点に、微小脳をもつ前口(旧口)動物が、もう一方に巨大脳をもつ後口(新口)動物の哺乳類がそれぞれいる。前者は、中枢神経系が腹側神経索よりなる腹側神経系動物(ガストロニューラリア)で、後者はそれが背側神経索よりなる背側神経系動物(ノトニューラリア)である。系統樹の根元の方に腔腸動物がいて、体中を網目状の神経網が走り、脳や神経節をもたない単純な神経系、散在神経系をもつ。 | ||
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(2)の三胚葉動物における中枢神経系の出現にしても、すでにその前の二胚葉動物の刺胞動物門にその萌芽が見られる。刺胞動物門のクラゲにおいては、神経環が知られ、これは、複数の眼点と呼ばれる光受容組織に含まれる小さな神経節同士を繋ぎ、光の感覚入力と他の神経情報を統合する機能が知られていている。これは、散在神経系にも萌芽的な中枢神経系が見られることを意味している。すなわち、神経細胞が始めて現れた散在神経系においても、構造的にも機能的にも、中枢神経系の萌芽はすでに存在する。 | (2)の三胚葉動物における中枢神経系の出現にしても、すでにその前の二胚葉動物の刺胞動物門にその萌芽が見られる。刺胞動物門のクラゲにおいては、神経環が知られ、これは、複数の眼点と呼ばれる光受容組織に含まれる小さな神経節同士を繋ぎ、光の感覚入力と他の神経情報を統合する機能が知られていている。これは、散在神経系にも萌芽的な中枢神経系が見られることを意味している。すなわち、神経細胞が始めて現れた散在神経系においても、構造的にも機能的にも、中枢神経系の萌芽はすでに存在する。 | ||
− | + | (3)の尾索類における神経管の出現についても、その起源をウニやナマコの棘皮動物やギボシムシの半索動物に求める試みが行われ、ナマコやギボシムシの遊泳幼生の繊毛帯に存在する幼生神経系に神経管の起源を謎解くヒントが隠されていることが、遺伝子レベルで報告されている。 | |
このように、神経系の重要な新しい形質の出現も、突然現れたのではなく、そのような出現のためには、継続的で連続的な息の長い変化が必要であることが窺える。現存の神経系を比較するだけでもそのような事情がうかがえることは驚きである。なぜなら、90%の生命が絶滅したと言われる古生代と中生代の境目の大絶滅や、中生代と新生代の境目の恐竜などの大型動植物の大絶滅を始めとして、生命の歴史は、多くの種が現れては消えていった絶滅の歴史で、わずかに残った生物が適応放散して多様な生物が現存しているとの考えが一般的である。そのような氷山の一角とも思われる現存の生物の神経系の比較からでも、エポッククメイキングな形質の出現には、連続性がうかがえるからである。 | このように、神経系の重要な新しい形質の出現も、突然現れたのではなく、そのような出現のためには、継続的で連続的な息の長い変化が必要であることが窺える。現存の神経系を比較するだけでもそのような事情がうかがえることは驚きである。なぜなら、90%の生命が絶滅したと言われる古生代と中生代の境目の大絶滅や、中生代と新生代の境目の恐竜などの大型動植物の大絶滅を始めとして、生命の歴史は、多くの種が現れては消えていった絶滅の歴史で、わずかに残った生物が適応放散して多様な生物が現存しているとの考えが一般的である。そのような氷山の一角とも思われる現存の生物の神経系の比較からでも、エポッククメイキングな形質の出現には、連続性がうかがえるからである。 |
2008年6月15日 (日) 17:46時点における版
動物の世界の生体コンピュータ、神経系・脳は、多様性に満ちている。神経系が地球上の動物に出現して、様々な神経系に変貌をとげ、多様な神経系が繁栄している現在までの神経系の歴史を考えてみよう。これは、壮大な神経系の起源と進化の物語である。
ニューロンの出現
神経系の系統図を考えてみると、系統樹の頂点に、微小脳をもつ前口(旧口)動物が、もう一方に巨大脳をもつ後口(新口)動物の哺乳類がそれぞれいる。前者は、中枢神経系が腹側神経索よりなる腹側神経系動物(ガストロニューラリア)で、後者はそれが背側神経索よりなる背側神経系動物(ノトニューラリア)である。系統樹の根元の方に腔腸動物がいて、体中を網目状の神経網が走り、脳や神経節をもたない単純な神経系、散在神経系をもつ。
動物の進化を考えると、原核単細胞生物から、真核単細胞生物、無胚葉性多細胞動物、二胚葉性多細胞動物、三胚葉性多細胞動物の順に進んできたことは間違いないであろう。神経系にとっての最初の特殊化した細胞、ニューロン(神経細胞)が現れるのは、二胚葉性多細胞生物である腔腸動物の刺胞動物門においてである。無胚葉性多細胞動物である海綿動物門では、まだ、神経細胞は見られず、個体性も明確でない。その次の刺胞動物門において、初めて個体性のはっきりした多細胞動物になり、初めて神経細胞が現れるとともに、神経系も明確に観察される。
神経系の変貌
地球上に神経系が現れて、多様な神経系に変貌を遂げていった壮大な神経系の起源と進化の歴史を考えてみると、3つのエポックメイキングな出来事が想像される。それは、(1)腔腸動物における神経細胞の出現、神経系の出現であり、(2)下等三胚葉無脊椎動物における中枢神経系の出現である。前口動物の道筋は、扁形動物などに見られる中枢神経系の出現は、最終的には、軟体動物頭足類のイカ、タコの巨大脳と節足動物昆虫の微小脳へと続く。一方、後口動物の道筋は、棘皮動物における感覚器と効果器をつなぐ介在神経系の発達に始まる。(3)さらに、それが背側神経系動物の繁栄に結びつくためには、尾索類における神経管の出現が必要となる。その出来事が、脊椎動物の管状神経系へと続き、神経系のもう一つの哺乳類の脳にたどり着く。(2)の出来事は、腹側神経系動物の繁栄をもたらし、(3)の出来事は、背側神経系動物の繁栄をもたらしたと考えられる。
しかしこれらの神経系の進化にとってエポックメイキングな出来事も、よく見るとその前の動物群においてその萌芽が見られる。(1)の神経細胞の出現は、二胚葉多細胞動物になってであるが、神経細胞をもたない単細胞動物においてもすでに、神経細胞と同様の機能が見られる。原生動物であるゾウリムシが物体に衝突して方向変換する行動や、捕食者に襲われて遊泳速度を速めて逃避する行動は、細胞内の生体電位を利用して引き起こされることが判明している。ゾウリムシの静止電位や活動電位、先端部や後端部の機械刺激に対する脱分極性と過分極性の電位変化、体内のCaイオンによる繊毛打の制御など、まさに神経系の神経細胞・感覚器・効果器と同じ仕組みが見られる。
(2)の三胚葉動物における中枢神経系の出現にしても、すでにその前の二胚葉動物の刺胞動物門にその萌芽が見られる。刺胞動物門のクラゲにおいては、神経環が知られ、これは、複数の眼点と呼ばれる光受容組織に含まれる小さな神経節同士を繋ぎ、光の感覚入力と他の神経情報を統合する機能が知られていている。これは、散在神経系にも萌芽的な中枢神経系が見られることを意味している。すなわち、神経細胞が始めて現れた散在神経系においても、構造的にも機能的にも、中枢神経系の萌芽はすでに存在する。
(3)の尾索類における神経管の出現についても、その起源をウニやナマコの棘皮動物やギボシムシの半索動物に求める試みが行われ、ナマコやギボシムシの遊泳幼生の繊毛帯に存在する幼生神経系に神経管の起源を謎解くヒントが隠されていることが、遺伝子レベルで報告されている。
このように、神経系の重要な新しい形質の出現も、突然現れたのではなく、そのような出現のためには、継続的で連続的な息の長い変化が必要であることが窺える。現存の神経系を比較するだけでもそのような事情がうかがえることは驚きである。なぜなら、90%の生命が絶滅したと言われる古生代と中生代の境目の大絶滅や、中生代と新生代の境目の恐竜などの大型動植物の大絶滅を始めとして、生命の歴史は、多くの種が現れては消えていった絶滅の歴史で、わずかに残った生物が適応放散して多様な生物が現存しているとの考えが一般的である。そのような氷山の一角とも思われる現存の生物の神経系の比較からでも、エポッククメイキングな形質の出現には、連続性がうかがえるからである。
また、腹側神経系と背側神経系は全くタイプの異なる神経系であると思われるが、ホメオチック遺伝子の発現の比較により、両者は共通の設計原理により形成されている可能性が出てきた。遺伝子発現の結果は、脊椎動物の背側が昆虫や環形動物の腹側(逆に脊椎動物の腹側は昆虫の背側)に相当していたのである。遺伝子レベルで見ると、多様な神経系の裏に、沢山の共通のメカニズムが存在することもまた真実である。
脳の出現
もう少し詳細に神経系の進化を見てゆくと、神経細胞が最初に出現したと思われる腔腸動物の散在神経系では、神経細胞の特殊化はまだあまり進んでいないが、すでに中枢神経系の萌芽もふくめ神経系の基本的な成分は全て揃っている。集中神経系の始まりとして、左右相称動物の根元に位置する扁形動物のプラナリヤでは、脳形成の遺伝子プログラムはすでに揃っていて、脳の基本となる構造を作るためのロジックは進化のかなり初期段階ででき上がっていたのでないかと思われる。
最近の分子系統学の進歩により、前口動物は、従来のものとはまったく異なる二大グループに分けられて考えられるようになっている。それが、脱皮動物と冠輪動物である。冠輪動物の方は、軟体動物・環形動物・腕足動物・扁形動物などを含み、脱皮動物の方は節足動物・線形動物を含む。従来の節構造の進化についての(神経系についても同様であるかも知れない)環形動物から節足動物の進化の考えは、変更が必要かもしれない。前口動物の一大グループである冠輪動物の多様な神経系を比較すると、イカやタコなどの頭足類の素晴らしい脊椎動物様の巨大脳に行き着く。
前口動物の脳進化のもう一つの頂点は、地球上で最も繁栄している動物群である昆虫の微小脳である。これは、「小型・軽量・低コストの情報処理装置の傑作」である。
一方、後口動物の神経系の進化は、まず、ウニ、ナマコ、ヒトデなどの無脊椎動物、棘皮動物から始まる。この神経系では、原始的な中枢制御機能をもつ介在神経系が出現する。それでもしっかりした脳構造がはっきりしないので、この神経系を散在神経系と呼ぶ研究者も多い。中枢制御装置として神経環を持つので、腔腸動物のクラゲと一緒にして環状神経系と呼ぶ研究者もいる。
系統樹では、この棘皮動物門は、半索動物門(ギボシムシ)を経て脊索動物門の尾索類(ホヤ)・頭索類(ナメクジウオ)・脊椎動物と続く。棘皮動物と半索動物は散在神経系を持ち、脊索動物のみが前後に伸びた中枢神経系を持つと言われる。頂点の脊椎動物の背側神経系の起源になる背側神経管の出現は、尾索類(ホヤ)の幼生で観察される。最終的には、哺乳類、さらにはわれわれヒトの大脳皮質の発達した脳にたどり着く。
多様な神経系に対する理解
生物界には非常に多様な神経系が存在する。多様な神経系の構造に対応した機能の違いがあるであろう。それらの多様な神経系の構造と機能の関連の理解とそれぞれの神経系の位置づけの理解は、個々の神経系を深く理解しようとするとき、有効なものと思われる。さらに、研究対象の神経系がどのように機能しているかという問いと同時に、それが、なぜ・どのようにしてそのような機能・戦略・機構をもつにいたったかの疑問に対する答えをもつことは、神経系に対する理解を格段に深めるであろう。そのためには、多様な神経系を比較検討し、神経系の進化の過程まで考察することが必要である。
ここに、比較神経生物学と神経系の系統進化学の意義があると思う。われわれヒトについて考える時、その生物学的性質は哺乳類と類似の点が多い。しかし、脳機能の飛躍的発達によって、われわれヒトは特別な生物的存在になっている。このヒトの神経系の特異性は、他の神経系との比較によって浮き上がってくるし、また、それがどのようにして出現したのかの問いに対する答えなしには、本当の理解には至らないことと思う。
参考文献
- 「神経系の多様性:その起源と進化」(阿形・小泉編)シリーズ21世紀の動物科学第7巻(培風館)